新時代見据える公益文科大
〜 挑む新学問 社会に貢献 〜
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東北公益文科大
小松隆二 (東京都在住) |
| 大学にもビッグバンが吹き荒れている。かつてなく厳しい環境下に、廃校に向けて学生募集を停止する短期大学も出始めている。四年制大学にもその波がじわじわと押し寄せつつある。
同時に、大学の新設も毎年あとを絶たない。大学の世界にも、質・レベルがいかに低くても既存の大学なら守るという護送船団方式は役割を終え、自由競争の時代が到来しつつある。 【吹き荒れるビッグバン】 今吹き荒れているビッグバンとは、少子化の進行を先頭に、高度国際化(国内標準から国際標準への転換や世界への参加・ 貢献)の必要、地域化・社会化 (キャンパスを超えるサービスの日常化)の要請など、大学の在り方を大きく揺るがす動向の一群である。 いずれも、大学には厳しいが、受験生はじめ一般社会にとっては喜ぶべき動向といえる。大学が個性を打ち出し、質やサービ スを向上せざるをえなくなるのだから当然である。このような動きを促す少子化を厄介で厳しい動向とみるのは、大学の経営的な見方であって、むしろ歓迎する見方の方が圧倒的に多いはずである。 【大学も淘汰の時代】 こんな少子化の時代に、大学が新設されるのはおかしいという意見も、ときどき耳にする。それも一理ないわけではないが、むしろ時代の変化に対応する新しい動きを封じ込め、十分な努力もしないで惰眠をむさぼってきた大学を含め、既設の大学を擁護する主張の一面を強くもっていることにも留意する必要があるだろう。 望ましい在り方は、一方で時代を超えたり、先導するような新風を吹き込む大学がたえず創設されること、他方で時代に合わなくなったり、後れをとりすぎているのに改革の意欲もない大学は消えていくという新陳代謝が、スムーズに行われる状況である。質的な向上などの努力をしないでも、いったん完成したら保護されて廃校の心配のないような状況は決してよくない。 東大や山形大学でも、また早稲田や慶応でも、時代に合わなくなったり、存在意義が無くなるようなことがあれば、当然消えていくというのが正常な流れである。 要は、大学の新設そのものが悪いのではなく、時代や社会の要請にこたえる内容や質を備えた大学かどうかである。 時あたかも、大学でも質や責任を問うアカウンタビリティが課題になりだしている。大学の淘汰(とうた)、自己点検や外部評価の導入は、その始まりである。 【庄内が発祥の地となる学問】 そんな中で今、私どもは、山形県および庄内十四市町村と協力して東北公益文科大学の創設に向け、努力している。地方の大学で、全国から受け入れられ、 21世紀にも高い評価を得るには、流行の学問・学部をまねるのではなく、真に時代の要請 にこたえ、社会に貢献できる新しい学問・学部に挑戦することが必要である。アカウンタビリティで合格点を得るのは、そういう大学である。 文部省の認可の面からも、新設の大学は、方々で学べるほど流行している学問・学部をまねるのでは無理であるし、意味も ない。国際、情報、環境、経営、人間学部など今なお人気を集めてはいるが、すでに多すぎてとうが立ち始めているものよりも、庄内地方が発祥の地となる新しい学問・学部こそ、注目もされ、社会への貢献度も高くなりうる。そこから生み出されたのが公益学と公益大学である。 紙数の都合で公益学と公益大学については、また機会を改めて紹介せざるをえないが、「世のため人のため」に貢献する非営利の思想や行動を総合的に観察・研究する学問は、日本では初めての試みである。当然ながら一般の人には耳なれないし、 分かりにくい。しかし、ほどなく到来する21世紀には、公益活動が広く脚光を浴び、公益学も社会や学界に高い貢献をする学問に成長するにちがいない。 それだけに公益学を課題とする公益大学は、少子化の時代にも必要とされる夢のある大学である。前途は決して平坦なものではないが、庄内の地でその夢も大きく育てたいものである。 |
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