「無菌米飯パック」と「減農薬有機栽培純米酒」の開発
  20世紀の庄内地方は、戦中・戦後の食糧難時代も豊かな田園の恩恵を受けて、食糧管理法などにより安定した生活が支えられていました。その後、コメ余り時代になっても、減反政策や補助金行政など国の手厚い保護政策を受けて、生活環境は安定をしていました。21世紀は、コメの原則輸入自由化の進展や、食文化の多様化はコメの消費量を減少させ、コメの高値安定を図ることが難しい状況になっています。従来は生産されたコメを農協に納めれば、安定した生活が確保出来る仕組みが構成されていましたが、今後は生産技術の向上と共に、生産者自ら消費者動向に目を向け、新しい販路を開拓することが求められます。
有限会社ドリームズファーム(鶴岡市馬町字批杷川原67)は新しい農業を目指し、逸早く農業生産法人を作り、消費者が安心して食べられる「除草剤・農薬・化学肥料」を使わない減農薬・有機栽培・自然乾燥のコメをつくり、オーガニックスーパーや消費者に直接販売を始めました。また加工食品分野(調理済米飯)に進出して,日本の世帯構成が核家族化が進む中で、一食ごとの調理済無菌パック「美味かめし」を開発し、新しいコメの販路を切り開いています。この評判は大手食品メーカーの知るところとなり、OEM(相手先のブランドで生産する)契約がまとまり、毎日大量の調理済食品を生産することにならました。更に、減農薬・有機栽培の純米酒=出羽を始めて酒造会社と組んで生産し、庄内名物として有力土産専門店から販売をしています。コメ離れが進む中で、コメを加工して販売する工夫を進め、新たなコメの供給先を開拓しています。
 「庄内価値開発研究会」は、新しく加工分野などへ参入をする時のアドヴァイスやOEM先のパートナー・新しい販路の開拓などについて支援をしています。

工夫のポイント 核家族化が進んでる現象を捉え、一食ごとの調理済米飯パックの開拓に挑戦し、新しい消費者層を獲得した。コメは生コメで供給するのが当たり前という常識を破り、核家族化社会への米飯供給をどうすべきかの工夫が、新たな消費を喚起した。


 
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トヨタ自動車のカンバン方式と在庫圧縮への挑戦
 メーカーは消費者の要望に素早く対応するため、商品や部品を在庫として用意することが長年常識になっていました。カンバン方式とは、トヨタ自動車が考えた無駄をトコトン省いた生産方式でコストを下げることです。自動車1台を作るには20,000〜25,000の部品が必要になると言われていますが、必要な部品を必要な時間に必要なだけ調達する方式が「カンバン方式」です。計画的に生産し在庫を置かないことが、資金負担を軽減し不良在庫を一掃してコストの削減が図れました。
 庄内のお隣にある新潟県の米菓子メーカー岩塚製菓株式会社は、株式上場を目指していましたが財務改善の課題がありました。常時在庫が2億5000万円位あり削減をすることがポイントです。そこで大手スーパーと提携し、注文が入ってから生産ラインを組み、希望の時間までに配送をすることに改めました。見込生産が削減され、在庫も一挙に5、000万円に縮小されました。懸案の財務改善が図られ株式上場を果たした経緯があります。
 「庄内価値開発研究会」は、財務改善についてアドヴァイスをしています。在庫負担は資金効率を悪化させますが、新しい観点から経営内容を見直し健全化を図ることが大切です。

工夫のポイント 従来からの流通ルートの仕組みに固執することなく、思い切って改革に挑戦したこと。時代の変化に即応した改革は、苦境から脱皮する企業経営の救世主になります。

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アサヒビールの快進撃に学ぶ
 平成13年8月17日の新聞紙上に、ビール会社の6月期中間決算が発表され、46年振りにアサヒビール梶i本社=東京都墨田区)がキリンビールを抜いてトップに立ったと報じられていました。1980年代の半ばまでのビール会社の売上は、キリンビールが一人勝ちで60%以上のシェアーを持つガリバー企業として君臨をしていました。売上シェアはキリンが別格のトップで、サッポロが次に位置し、戦後は一貫してアサヒのシェアは第3位の指定席に甘んじていました。
 1985年に私は低価格の居酒屋=「村さ来」の専務を訪問して意見を交換したことがあります。「村さ来」は当時としては新しい居酒屋の形態で、低価格メニューの今迄にない居酒屋でした。アルコールの主役は「サワー」類で、ストレス解消を求める学生で賑わっていました。専務は私にこう言いました。アサヒの営業は凄いよ、「村さ来」は安売り酒場で当社の製品とイメージが合わないと、キリンやサッポロの営業が躊躇をしているのに対し、学生が多く集まる居酒屋にアサヒのイメージを植え付けたいと、熱心に説得されたので当社のビールはアサヒに決めたと話されました。学生がアサヒに馴染んできた頃の1987年に、アサヒビールは「スーパードライ」を発表しました、新しい辛口ビールは快進撃を開始し、居酒屋でアサヒに馴染んだ学生は、家庭に入ってもアサヒを愛飲し、アサヒのファンを伸ばしました。アサヒの味(製品の旨さ)、宣伝、経営・営業方針の巧拙がアサヒを確固たる地位に押し上げたとは思いますが、今でも私は、新しい形態の居酒屋が出来た時に、自社製品に自惚れることなく、リスクを侵す勇気を持ち、果敢に新しい分野に挑戦したことが、現在の躍進に繋がったものと信じています。私は、どんな小さい企業にでも丁寧に真剣に対応をすべきことを学び信条としています。

工夫のポイント 経営環境・生活環境は目まぐるしく変化をしています。新しい分野への参入は、当然良く調査をすることが大切ですが、時代の流れを素早くキャッチし、従来からの流通機能や営業方針にこだわらず、意識革命を進め、果敢に新しい分野に挑戦することが大切な時代になっていると思っています。

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深夜営業で躍進するドン・キホーテ
 深夜営業の総合ディスカウント店を首都圏で展開する潟hン・キホーテが(本社=東京都墨田区)が大躍進を続けています。戦後間もなくは百貨店が小売業の王様でした。その後スーパーが台頭し、コンビニやディスカウントストアー・通信販売・そしてインターネットの利用など、文化が進んでいる日本の国の流通機能は大きく変化をしています。
 1995年12月に、潟hン・キホーテの安田隆夫社長と意見を交換したことがあります。
1995年6月の当社売上高は55億円、来期は倍増する勢いがありました。当社の営業時間は、午前10時から翌朝2時まで、午後10時から11時30分の間が混む時間のピークでした。その時間帯には遠くからも若者が車で訪れ、店内は人・人・人で溢れて買物をしていました。その営業方針についてお聞きしたことがあります。
 「若者はウイークディは仕事があって昼間は買物が出来ない。土曜・日曜日は遊ぶのが忙しくて買物が出来ない。深夜は仕事が終わり、首都圏の交通事情も緩和されるので、品物が豊富で安価な商品がある店に人が集まる。その時間帯が午後10時から11時30分である。」つまり、長年買物は昼間に行う慣行があったが、深夜の買物が効率的だという時代になった。野球は昼間青空の下で行うのが常識だったが、プロ野球は、仕事を終えたサラリーマンや家庭でテレビを楽しむ人のためにナイターを定着させた。「若者は深夜の買物が好き」であるとの着眼点を営業方針に生かしただけ、と言われて見ると、当たり前のことを逸早く実行したことに成功の秘訣がありそうだ。
当社の2001年6月期の売上高は、734億円であり、東証株式一部上場会社になった。
時代の流れに逸早く対応し、実行に移すことは誰にでも考えることは出来る。だが、逆転の発想を、実行に移す決断があるかどうかが、今の時代には大切な課題かと思う。

工夫のポイント 時代の流れを見つめ、若者の購買動向を掴んだ営業方針を展開した。従来の成功体験に固執することなく、新しい観点で深夜の営業強化対策を進めたことが、消費者の心を捉え、業績を大幅に伸ばすことが出来たと思う。

ドンキホーテ

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